陽明学(ようめいがく)
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1.背景
陽明学は中国の明の時代、王陽明が説きました。
当時の中国では朱子学が全盛で、その教えは「人間社会の全ては権威に従い永久不変で変えられないもの」だとされていました。
朱子学に異を唱えたのが王陽明です。「権威に盲目に従うのではなく、己の責任をもって行動する心」の必要性を説きました。
まず、この背景だけでも遠い昔のこととは思えません。
朱子学は現代社会の閉塞感を象徴的に表わしています。これを自ら受け入れてしまい、あきらめモードに入る。
そんな人々が、高校生に会社人間と呼ばれているのです。
それではダメだという気持ちで、私達は成長し行動しようとしています。
16世紀に己の責任と行動を重視していたのですね。これは勇気付けられます。
2.核心
善悪を鋭く見分けることのできる本能的な力。陽明学では、それを良知と言っています。
そこまで達することができるように、ということです。良知の根本となるのが徳目(仁義礼智信など)です。
自分の良心(良知)に照らし合わせ、正しいと思った事が本当に正しい事である。これが陽明学の核心となる致良知です。
ややこしい理屈は抜きにしましょう。致良知、これはズバリ判断する時の基準ですね。
サムライとしての全ての源は、この「判断」にあるといえます。
知識は正の判断をするための選択肢であって、邪の智恵を出すための道具では決してないのです。
行動の基本となるのは正しい判断が出来ること。昔も今も決して変わらない真理です。
3.神髄
(1) 知ってはいるものの
ここで、アンケート結果を見てみましょう。
「これがなかなか出来ないんだよなぁ」ということは?
・分かっているけど行動に移せない---45%
あなたが行動に移せないときに、障害となっているのは?
・自分の心に負けてしまう---40%
分かっていても出来ないことが多々あるのです。その理由が己の心の弱さ。
"自分の心に負けてしまう。これは良くないことだ。"と知っているわけですね。
例えば"過ちを改めないこと、これが本当の過ちである"と言っているようなもので、そう言っているうちは知識でしかないのです。
(2) 知ることの完成
知っていること・行動に移すことは、別物と考えてはいけないようです。
「行は知を前提として成り立つ。知の実現が行にほかならない。知と行は一体のものとして理解されなければならない。」
(知ることは行うことの始まりであり、行うことは知ることの完成である。知ることと行うことを別個のものとはみなさない。)
「知行は分かちて両事となすべからず」
これが陽明学の神髄と言われる知行合一です。
・分かっていても、何も言わない何もしない
・言うだけで何もしない
・言っていることと、やっていることが違う
上記何れかが当てはまる人が多いのが現実のようです。私たちは少なくとも、社内(組織内)の評論家であってはなりません。
いずれ知行合一の実践者になりましょう。
これを読んで、"知行合一が重要なんだぞ"と人に言っているうちは知っているだけです。
知識に沿って行動し続ける。それができるようになって初めて、知行合一という知識が完成できるわけです。
いつの世も「やってナンボ」ですね。
4.志
(1) 大目標
行動するに当たって、何が必要であるか。
第一に 「志」
第二に 志を実現しようとする強い「意欲」
第三に 志を実現する「戦略戦術」
志とは人生の大目標。企業で言えば経営理念がそれに当たります。企業の存在意義ですね。
「当社は○○で社会に貢献します」といった表現があります。社会にとっていかに必要か、ということを謳うわけです。
個人の志も同様に考える必要があります。もしもあなたが「私の夢は、豪華客船で世界一周旅行をすることです。」
と言ったとしましょう。「楽しそうでいいねぇ」とは言ってもらえるかもしれません。
しかし「実現のために協力するぞ」と言ってもらえるでしょうか?
個人的な夢は志とは言わないのです。周囲に希望をあたえることや、率先して協力しようという気にさせること。
そんな、考えるだけで楽しくなるような大目標が志です。
志がないことを以下のように例えています。
「志立たざれば舵なきの舟、銜(くつわ)なきの馬の如し」
・舵がない船のように、波にまかせて漂うだけ
・くつわのついていない馬のように、どこに走っていくか分からない
(2) 点と線
ここで行動できない時のことを考えてみます。
面倒くさい,失敗したらどうしよう,誰かを怒らせてしまわないか・・・その時々で行動できない理由は色々あります。
複雑に絡まっている場合も少なくありません。
そういう状況では目の前のことしか見えていないのです。それをスルかシナイかだけしか考えていません。
行動を点として捉えているのです。
点なので、次に似た状況がきてもスルかシナイか。それの繰り返しです。
志ある場合はどうでしょう。
志を実現するまでの線上に障害が発生したとしましょう。でもスルかシナイかはありません。
行き先が定められていますから、障害を乗り越える行動をスルだけです。
目的を持って取り組む人は強いと言われています。自分の根本となる部分をはっきりと描くことが最重要です。
・自分はどんなことを成し遂げたいのか。
・自分はどんな人間になりたいのか。
5.土台
「志・・・それが分かれば苦労はせぬ。」
昔読んだ中国歴史小説に、こんな言葉があった記憶があります。何という本に書いてあったのか思い出せないのです(スミマセン)。
ただ、この言葉のインパクトが非常に大きかったのでしょう。その当時はこんな言葉に「言えてる」と思ったのです。
多分、志とは探しても簡単に見つかるものではないでしょう。無理やり設定するものでもないと思いますし、そうしても長続きしないでしょう。
そもそも、そんな思考で社会に出た人の方が少ないと思うのです。受験や就職のための、知識詰め込み教育しか受けていないのですから。
だからといって、教育が悪いでは何も成長しません。今からでも大目標を決めましょう。即ちこれが立志。
そのための土台となることが「仁」の心。仁とは人の痛みが分かること、思いやりです。
陽明学では万物一体の仁と言っています。
「まともな人間なら、人々の苦しみを見過ごすことはできないはずだ。他人の思惑や非難など気にしないで、まず行動を起こそうではないか。」
それに加えて「義」の心。義とは人として歩むべき道と言われています。
漠然としているので、公のために為すべきことと私は捉えています。
その気持ちを持たない限り、いくら志を探してもムダです。自分では志と思っていることが、実は私利私欲だったとなってしまします。
今の時代、企業や個人は生き残る術(すべ)探しに躍起になっています。
そんな時に志だの仁義だの言っている場合か、と友人に笑われてしまいま
すか?目の前の実利を選びますか?いかがでしょうか?
「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」(史記)
燕や雀のような小鳥に、鴻(おおとり)や鵠(くぐい)のような大きな鳥のことが分かろうか。(小人物には大人物の大志を理解できるわけがない)
よって、他人の思惑や非難など気にすることはないのです。
こんな時代だからこそ、人物の存在意義が大きいのです。
6.実践のために
「志を立てて修行につとめるのは、あたかも木を植えるようなものである。(・・・略・・・)根を生やす段階では、
ひたすら土をかけ水を注いでやるだけでよく(・・・略・・・)。当面の栽培の努力さえ怠らなければ、
枝も葉も、そして花も実も自然についてくるのだ。」
「たとえば、道を歩いているとき、つまずいて転んだなら、立ち上がってまた歩き出せばよい。
人の目をあざむいて、転ばなかったふりをする必要はない。」
簡単に達成できてしまうような目標では面白くありません。一生かけて実
現するような、高い目標でなくては志ではありません。
そんな困難を伴うことに向かうのですから、焦らず長い目で見なさいと言
っています。地道に歩め、失敗しても糧にしてまた歩き出せ。
まず根底に徳目(仁義など)がある。
徳目を土台にした志がある。
志を実現しようとする熱がある。
熱が行動を生む。
そして実現のための戦略・戦術が必要である、と陽明学は言っています。
例えると、どの山に登るかを決定することが戦略。どのルートで何を使っ
て登っていくかが戦術です。「戦略の誤りは戦術でカバーできない」「戦
略なき戦術は無意味」などと言われています。
戦略・戦術の詳細は、他の書籍やメルマガで学んでください。私が語るべ
き内容ではありませんので。
参考文献:日本経済新聞社「陽明学回天の思想―閉塞状況を打ち破れ」守屋洋著
参考サイト:「陽明学とその現代的再生考」
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